2025-01-01から1年間の記事一覧
三峰山(みつみねさん)は奥秩父を代表する埼玉の山。埼玉県民に「秩父の山といえば?」と訊けば「三峰山」を挙げる人も多い。 とはいえ、三峰山という特定の山があるわけではない。雲取山、白岩山、妙法ケ岳の3つを背景とする山域の総称。山頂は三峯神社に…
"> 「日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさない」 深田久弥さんが”日本アルプスの金字塔”と称え、花崗岩の白砂に輝く名峰が甲斐駒ケ岳である。標高2967m。18座ある”駒ヶ岳”の中で堂々の最高峰。 「山の団十郎」「南アルプスの貴公子」…
"> 月の最終日が土日だとうれしくなる。山に登り、一新した自分に生まれ変わって次の月を迎えられる。晩秋と初冬に揺れる11月30日(土)。令和元年の55座目に選んだのは奥多摩にある『本仁田山(ほにたやま)』だった。 "> 標高1224m。「奥多摩富士」という…
東北の山のシンボルは、天上の湿原とブナの原生林である。 令和元年11月3日、文化の日。八甲田山に登頂した翌日、朝5時に目を覚ますと秋田の十和田は大粒の雨に降られていた。 「朝起きてから山に登るか観光か決めよう」と先輩に言われていたものの、はじめ…
明治は「維新」の時代。大正は「浪漫」、昭和は「歌謡」、インターネットが普及して世界が繋がった平成は「多様」。そして令和は「否定」の時代だ。SNSは誹謗中傷、各地で大雨や地震が続き、気候も人間も、嵐が吹き荒れている。 その兆しは令和元年からあっ…
5月21日は、1年間で最も特別な日だ。亡くなった登山家への想い、憶い出は書き切れない。これまで『月とクレープ。』『温泉クライマー』の2冊で少し触れてきたが、いつの日か、1冊の本にする。少しずつ、一歩一歩、近づいていきたい(今頃、火星のオリンポス…
"> 令和元年58座目に選んだのは、標高2158m、上州を代表する成層火山の武尊山(ほたかやま)だった。前武尊、剣ヶ峰、家ノ串、中ノ岳、沖武尊(主峰)、西武尊(剣ヶ峰山)、獅子ヶ鼻山と、7座の2000m級の峰頭を連ねる総称で、登山ルートも豊富。深田久弥さ…
新宿からオフィスに向かう神宮外苑のイチョウが見頃を迎えた令和元年12月13日(金)、会社を辞めた。 みんなから「おめでとう」と声をかけられる転職。でも、ホントは辞めたくなかった。それでも次のステージに上がるには喪失が必要だった。こんな自分勝手…
長野県の佐久町を抜けると、そこに新田次郎の故郷がある。 「失われた花の都」である霧ヶ峰は、この地で生まれた新田次郎を育み、深田久弥さんをはじめ多くの岳人を一夏の避暑に誘った。 ニッコウキスゲは各地で見られるメジャーな花だが、失われゆく霧ヶ峰…
令和元年6月16日、雨上がる。 前夜まで降りしきった雨が、街の喧騒を一度洗い流していったかのようだった。勝利宣言だ。先週、6月9日の登山家の誕生日に行けなかった山梨の不老山にリベンジ。 永遠に年をとらず、永久に色褪せることのない想い出をくれた登山…
令和2年、正月3日。倉岳山を目指していた。 「すごいスピードだね。箱根のランナーみたいだ」 つづら折りの急登で年配の登山者を追い越したとき、そう声をかけられた。 箱根駅伝で躍動する青学のフレッシュグリーンの疾走感に心を動かされ、令和最初の山に倉…
著者:新田次郎 出版年:1974年7月25日 出版社:文春文庫 ページ:237ページ 新田次郎の小説『富士山頂』は、1967年に発表された作品で、実際に1957年から1958年にかけて行われた「富士山レーダー建設計画(富士山レーダー局建設)」を題材にした山岳小説。…
失速と再起の三輪山 令和7年7月29日 12年いた新宿を離れた。桜井へ戻ることにした。 炎天下、久しぶりに町を歩く。どこもかしこも昔のままのようでいて、何かが違う。 三輪山の登拝が、8月1日から1ヶ月間、禁止される。熱中症対策。時代が、少しずつ音もなく…
立命館大学に通っていた4年間は、極真空手の道場と京極の映画館に入り浸っていたので、京都の名所はおろか、山など一つも登ったことがなかった。 そんな学生時代、印象に残っているのが天気雨。金閣寺近くの下宿から立命館大学の正門に通う昼下がり、何度と…
梅雨という言葉が、年々その存在感を薄めている。とはいえ、令和の始まりの頃には、登山者にとってはまだ切実な季節の試練だった。週末クライマーにとって、梅雨の時期ほど悩ましいものはない。いかに晴れの谷間に山へ向かうかが鍵。天候との勝負も登山の醍…
登る山を選ぶ基準に「「ヤマトタケルにゆかりがあるかどうか」」がある。 ヤマトタケルは奈良県桜井市の生まれ。地元の英雄であり、「大和は国のまほろば(奈良は国の中で最も素晴らしい場所である)」と詠んでくれた存在に、誇りを感じる。 武蔵の国の名も…
梅雨がなく、雨季でも週末は必ず山にいた令和元年。9月末からは3週連続、秋雨のなかの山登りとなっていた。週末や休日に雨が襲う悲劇。偶然なのか必然なのか、令和は気象との闘いの時代。谷川連峰・平標山(たいらっぴょうやま)の雨を予想したのはヤマテン…
「石老山(せきろうざん)」は、神奈川県の相模湖にあり、高尾駅から1駅と、中央沿線で最も身近な山の一つに数えられる。 山名が示すように、古い岩と苔むす石が連なり、標高702メートルと低山ながら、都会の喧騒から逃れる駆け込み寺として最高だ。 令和元…
「一富士二鷹三茄子」と言われるように、日本でもっとも縁起が良いのは富士山である。「はじめに富士山ありき」 そんな山国ニッポンで生きる日本人に正月に読んで欲しい本がある。 富士山最後の強力(ごうりき)、並木宗二郎さんの半生を描いた『雪炎―富士山…
新宿から山へ向かうのに、京王線・中央線・小田急線ではなく、西武線に揺られるときがある。秩父・奥武蔵に向かうときだ。秩父・奥武蔵は近年、観光地として注目を集めている。その奥武蔵の象徴が『武甲山(ぶこうさん)』である。これほど男性的なオーラを…
令和2年1月10日、世界の始まりを告げる夜明けの向こうに、伯耆大山が浮かび上がった。この瞬間に出逢うために、山を登り続けている。新宿からバスに揺られ、13時間。米子駅に降り立ち、大山寺へ向かう始発バスの車窓に、その姿はあった。 初めてライターとし…
八ヶ岳の主峰・赤岳に最後に登ったのは2019年の春。平成が終わろうとしていた4月13日。新宿の最高気温は7℃。真冬が舞い戻ったような冷気が、季節の境界線を曖昧にしていた。 人生4度目の八ヶ岳。金曜の深夜0時半、埼玉の西大宮を出発する。夜明け前の5時から…
人生でいちばん登っている山が高尾山だ。登山を始めた2014年から2025年まで。19回。 「よく飽きないね?」と言われるが、登るたびに「また来たい」と思う。高級料亭の味ではなく、毎日でも味わいたい。そんな山。 2016年の元旦には初日の出を拝んだ。人生で…
栗城史多さんがよく言っていた。 「山は不思議なもので、本人が行きたくても行けないときもあるし、血のにじむような努力をしても天候次第で山頂につけないことも沢山ある。山も人と同じく『ご縁』があるかどうかだよ」 世界一の雨男だった栗城さんらしい言…
石楠花(シャクナゲ)は、春から初夏にかけて咲く華やかな花で、赤・ピンク・白・紫など、彩り豊かに咲き誇る。「高嶺の花」の由来にもなり、かつては人里離れた高山にしか咲かない特別な存在だった。ヒマラヤのような高山に多く見られ、日本でも深山に自生…
小説『春を背負って』の舞台に行ってみた。梅雨を迎える直前、晩春の奥秩父。 初日に目指すは甲武信岳(こぶしだけ) 19歳から28歳まで極真空手に精を出した自分にとって「拳」の呼び方と山容を持つ山は特別な存在。 新宿発の京王線の始発は5時19分。その前…
まだ登山道がない時代、先人たちは沢を登り山を越えた。沢を渡渉するのは危険も伴うが、藪がなく谷の水流を辿ることで道迷いせず峠や山頂を目指せる。水や魚もいるから食糧の確保もできた。沢登りは修験道を除けば、登山の原点とも言われている文化。 山登り…
東京に住むクライマーの特権は富士山と八ヶ岳に日帰りで登れることだ。 「八ヶ岳に登って山を好きにならなければ登山の才能はない」 深田久弥さんの言葉どおり、八ヶ岳はどこを切り取っても名峰。これまで8座のうち半分まで踏破し、今回は日本最古の登山の場…
登山を始めて6年。まるで小学校を卒業するかのように、山の世界を駆け抜けてきた。2014年に初めて山の扉をノックし、2017年には1年間休止した時期もあったが、今こうしてまた歩みを進めている。 これまでの相棒は、スマホの地図アプリとGPS。頼れる現代の文…
山に足を踏み入れた瞬間、日常の喧騒が遠のく。それだけでも非日常だが、山小屋に泊まると、その感覚はさらに際立つ。不便な環境が、都会の便利さを忘れさせ、素朴な時間の流れを教えてくれる。特に都会に住んでいると、その違いは鮮烈だ。 転職した令和3年…