登魂日記

登山の山紀行、おすすめの山岳本、映画などを紹介します。

東京・愛宕山〜25メートルの頂で見つけた令和の晴れ間

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明治は「維新」の時代。大正は「浪漫」、昭和は「歌謡」、インターネットが普及して世界が繋がった平成は「多様」。そして令和は「否定」の時代だ。SNSは誹謗中傷、各地で大雨や地震が続き、気候も人間も、嵐が吹き荒れている。

その兆しは令和元年からあった。

2019年、台風19号ハギビスが日本全土を襲い、多くの命を奪った。新宿はゴミが散乱した程度で済んだが、毎週末の楽しみだった登山は壊滅的。登山道は崩れ、電車も完全ストップ。部屋に閉じ込められた鬱憤を晴らそうと、台風の夜に手に取ったのが山口耀久さんの『山頂への道』だった。

高橋由一《愛宕山より品川沖を望む》1877年

高橋由一愛宕山より品川沖を望む》1877年

目次に「愛宕山」の文字。京都か千葉の山かと思いきや、東京・港区にあるという。しかも自然に隆起した本物の山だ。車がなくても自転車で行ける。むしろ、こんな時でなければ行かないだろう。

2019年10月13日(日)早朝6時30分、愛宕1丁目へ。

台風一過の新宿は、灰色の空から雲ひとつない快晴へと変わっていた。だが、あちこちに強風の爪痕が残り、店は休業続き。新宿御苑のローソンが営業しているだけで特別に感じ、質素な朝食にも感謝がこみ上げた。

四ツ谷、赤坂、虎ノ門を抜け、愛宕山に到着。東京タワーと虎ノ門ヒルズに挟まれた異様な立地は東京の不思議。標高わずか25メートル。丘と言われても仕方ない高さだが、江戸時代から見晴らしの名所として親しまれ、かつては東京湾や房総半島も望めた。

今は登山道はなく、神社への石段だけ。それでも東京都23区の最高峰であり、立派に「山行」と呼びたい。

山口さんは自律神経失調症を患った後、愛宕山で「1日100登」の修行をし、12月28日22時50分に完登。その挑戦に敬意を払い、今回は自分の年齢に合わせて36登を目指した。

立ちはだかるのは86段の男坂。別名「出世坂」。登頂は1分足らずだが急勾配が油断ならない。数往復で脚は乳酸漬けになる。それでも山頂の神社は、美しい朝日と共に労を癒やしてくれる。山と神社はルパン三世と銭形警部のように切っても切り離せない。高層ビルに遮られて眺望がなくても、達成感と粛々とした気を与えてくれる。

外国人観光客、地元の散歩客、結婚式を挙げる新郎新婦まで、多くの人に愛されていることがわかる。最初は休み休み、女坂を下って膝を労りながら登った。30回を過ぎると急坂のコツを掴み、臀部の筋肉を使って馬力で登ると疲れも少ない。

36登を終えたのは10時30分。約3時間で3096段を往復した。香川の金比羅宮が1368段なので、ほぼ2往復半に相当する。ふくらはぎは悲鳴を上げて硬くなったが、この征服感は何物にも代えがたい。令和という嵐の時代にも、小さな山を何度も登ることで、心に静かな晴れ間をつくることはできる。

愛宕山 ―東京の懐に抱かれた小峰―

東京の港区、その武蔵野台地の末端に、愛宕山は静かに立っている。標高25.7メートル。天然の山としては東京23区の最高峰である。あまりの低さに「丘」と笑う者もあろうが、この小峰は400年近く、江戸・東京を見つめてきた。

自然形成と地質学によって証明されているが、なぜ周囲の低地からここだけが隆起したのか、その仕組みは今も定かでない。

慶長8年(1603)、徳川家康は江戸を守るため、ここに愛宕権現を勧請した。防火の神としてだけでなく、「天下取りの神」「勝利の神」としても信仰を集め、諸国の藩士が分霊を持ち帰った。江戸城に向かう水戸浪士が成功を祈願したという逸話も残る。

江戸時代、この山は比類なき展望地で、東京湾から房総半島までを望み、『鉄道唱歌』の冒頭にも「愛宕の山」と歌われた。明治19年には山頂に公園が開かれ、西洋建築の愛宕館と八角5階の愛宕塔が建ち、展望の名所となった。昭和に入ると、ここはNHK放送博物館の地となり、日本の電波の発信地としても歴史を刻む。

戦後直後には「愛宕山事件」と呼ばれる騒擾もあったが、今では周囲を超高層ビルが囲み、かつての大展望は失われた。それでも大木に囲まれた山上は、都会の真ん中とは思えぬ静けさを湛える。

登路はいくつかあるが、正面の男坂86段は「出世の石段」として名高い。寛永11年(1634)、徳川家光が梅を指し「馬で取ってくる者はおらぬか」と命じ、讃岐丸亀藩士・曲垣平九郎が馬で駆け上がって枝を手にした。以来、この石段は出世の象徴となり、後に数人が馬で登頂を果たしたという。

愛宕山の裾には昭和5年完成の愛宕山トンネルが通り、東京23区唯一の山岳トンネルとされる。東側にはエレベーターも設置され、神社や博物館まで容易に登ることができる。

アクセス
東京メトロ日比谷線神谷町駅」から徒歩5分、または都営三田線御成門駅」から7分。愛宕下通りを行けば、男坂の石段が正面に現れる。急坂を力強く登るもよし、女坂から静かに巡るもよし。山頂からは、高層ビルの谷間に皇居の森や東京タワーを垣間見ることができる。

低くとも、愛宕山は東京の地形と歴史を凝縮した一峰である。山は高さではない。その地に刻まれた時と人の営みこそが、真の山を形づくるのだ。

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