
富士山に挑むこと六度。しかし、七度目の足取りはまだない。
最初の登頂は2015年10月。単独で0合目から歩き、佐藤小屋に一泊した。山はまだ雪を抱いてはいなかった。

翌年の5月、埼玉の先輩とともに、憧れだった雪の富士を踏みしめる。登頂を果たして泣いたのは、人生でこのときだけ。

そして最後の挑戦は、令和元年6月2日。ある人に、ある想いを届けるための登山だった。午前4時、埼玉の西大宮から先輩がわざわざ新宿まで車を飛ばしてくれた。僕をエヴェレストに連れて行ってくれた登山家の富士山トレーニングのために、レンタカーを借りて銀座に向かった自分が同じことをしてもらっている。
夜明け前の摩天楼を駆け抜け、首都高を飛ばし、わずか2時間足らずで須走口に着く。登山口はすでに覚醒。5合目の東富士山荘が営業していた。何時から空いてるのだろう?他にも、2組の登山者がスタートするところ。

6時10分、登頂を開始。今日はやたらと「6」という数字が並ぶ。車窓から眺めたときは威圧感に満ちた雪も、実際に目の前に立つと拍子抜けするほど少ない。夏山への衣替えは9割完了していた。
軽アイゼンのまま登り進める。チェーンスパイクでも十分だった。6合目から振り返ると、そこには果てしない雲海。先輩が見たいと言っていたその光景が、眼前に広がっていた。

7合目まで、わずか1時間半。これは速い。これなら3時間以内で登頂し、5時間台で下山できる。天にも昇る心地だった。夢見心地で、頂に立つ自分を思い描く。しかし、富士はそんな慢心を許さない。
8合目を過ぎたあたりから、太ももに鉛のような乳酸が溜まり、足が進まなくなる。焦れば焦るほど、身体は言うことを聞かない。凄いタイムを出して先輩を驚かせたいと思っていた。だが、その時点で登山は本質を失う。誰かを意識すると、登山は形を変えてしまう。山と向き合い、自分と向き合う。それが登山の掟。
ペースが上がらないどころか、このままではストップしてしまいそうだ。急がば回れ。体が高所に順応していないうちは、強制的に10分ほど休憩するべきだった。もっと言えば、5合目の駐車場で2時間ほど仮眠をとるべきだった。

9合目、完全に足が止まった。颯爽と追い越していくトレランの若者、軽やかに進む高齢の登山者。自分の姿は、何と無様なのか。ついに腹痛までも襲い、もはや登頂どころか下山すら危うい。救助隊の存在が脳裏をかすめる。10合目に着いたときには、すでに3時間を超えていた。
しかし、今回はどうしても頂に立たなければならなかった。2日前に退職した同僚の女性が、英語留学のためセブ島へ旅立つ日。最後にもらったチョコクッキーの写真を、富士山から送りたかった。「カッコつけなければ生きられない」。韓国映画『チング』のセリフを呟いたところで、もはやカッコ悪いにも程がある。

吐き、キジを打ち、とうとう荷をすべて置いて剣ヶ峰へ。瀕死の状態でLINEを開き、写真を送る。なんとか約束は果たせた。

単独行とは何か?誰とも歩かず、誰にも頼らず、ただ一人で登ることなのか。いや、人は何かを背負わずにはいられない。何かのために、誰かのために、山へ登ることだ。
七度目の富士山が、いまだに遠い。だが、それを求める気持ちは、確かにここにある。次はいつか。
富士山:日本の象徴、その神秘と魅力

富士山(ふじさん)は、標高3,776メートルを誇る日本最高峰の山であり、優美な円錐形の姿は、日本の象徴として広く知られている。静岡県と山梨県にまたがり、世界文化遺産にも登録されている霊峰は、古くから信仰の対象であり、多くの芸術作品や文学に描かれてきた。山中湖や河口湖からの逆さ富士、田貫湖からのダイヤモンド富士など、息をのむような絶景も人々を魅了する。
深田久弥さんが『富士山』という本を書こうとし、あまりの手強さから筆を折った程、そのスケール感は計り知れない。
クライマーはどの山に登っても「富士山が見えるか」を気にする生きものである。
富士山の4大登山ルートの特徴

富士山には4つの主要登山ルートがあり、それぞれ出発地点(登山口)、難易度、距離、混雑度が異なる。最初に登った山梨県川の吉田ルートも思い入れ深いが、個人的に富士山は剣ヶ峰がある「静岡県の山」だと思っている。4つのうち3つのルートも静岡側。富士講の歴史が始まったのも富士宮である。
① 吉田ルート(山梨県側)
特徴:初心者に最も人気があり、山小屋が充実している
- スタート地点:富士スバルライン五合目(標高2,305m)
- 登山時間の目安:登り約6時間/下り約4時間
- 距離:約14km(登山道と下山道が異なる)
- おすすめポイント:
- 山小屋が多く、初心者でも安心して休憩できる
- ご来光を拝むのに適したルート
- 比較的なだらかで登りやすいが、シーズン中は混雑しやすい
- 注意点:
- 登山者が最も多いため、渋滞が発生することも
- 登山道と下山道が分かれており、間違えないよう注意
② 須走ルート(静岡県側)
特徴:森林限界を超えるまでは自然が豊かで静か。下山時の砂走りが特徴的
- スタート地点:須走五合目(標高2,000m)
- 登山時間の目安:登り約7時間/下り約3時間半
- 距離:約13km
- おすすめポイント:
- 最初は樹林帯の中を歩くため、涼しく快適
- 他ルートよりも比較的人が少なく、静かな登山が可能
- 下山時に「砂走り」という砂地を駆け下りることができ、スピーディーに降りられる
- 注意点:
- 八合目で吉田ルートと合流するため、混雑することがある
- 雨が降ると道が滑りやすくなる
③ 富士宮ルート(静岡県側)
特徴:富士山で最も標高が高い五合目からスタートし、最短距離で登頂できる
- スタート地点:富士宮五合目(標高2,400m)
- 登山時間の目安:登り約5時間/下り約3時間
- 距離:約8.5km(最も短い)
- おすすめポイント:
- 他ルートより距離が短く、最短で山頂に到達できる
- 剣ヶ峰(富士山の最高地点:3,776m)へのアクセスが良い
- 登山道と下山道が同じなので、迷う心配がない
- 注意点:
- 坂が急で、標高差も大きいため体力を消耗しやすい
- 山小屋が比較的少なく、休憩できるポイントが限られる
- 岩場が多く、転倒に注意が必要
④ 御殿場ルート(静岡県側)
特徴:距離が長く、上級者向け。登山者が少なく静かなルート
- スタート地点:御殿場五合目(標高1,440m)
- 登山時間の目安:登り約8時間/下り約4時間
- 距離:約19km(最も長い)
- おすすめポイント:
- 登山者が少なく、静かな登山が楽しめる
- 体力に自信がある人には最適なルート
- 下山時に「大砂走り」を楽しめる(ふかふかの砂地を一気に駆け下りる)
- 注意点:
- 高低差が大きく、長時間歩くため、初心者には厳しい
- 山小屋が少なく、天候が悪いと厳しい環境になる
文化と歴史:信仰・芸術・文学への影響

富士山は、単なる山ではなく、日本の歴史・文化・信仰の中で特別な存在として崇められてきた。その雄大な姿は、宗教的な聖地として人々の心を惹きつけ、また芸術や文学においても数多くの作品の題材となってきた。
1. 富士山信仰の始まり

古来より、富士山は 「霊峰」 として信仰の対象とされてきた。最も古い記録では、『竹取物語』(平安時代)で、かぐや姫が不老不死の薬を富士山の山頂に納めたという伝説がある。これは、富士山が神秘的な存在として認識されていたことを示している。
また、古代の人々は、富士山の 噴火 を神の怒りと捉え、鎮めるために祈りを捧げた。特に、 浅間神社(せんげんじんじゃ)の信仰が広まり、山の神である「浅間大神(あさまのおおかみ)」が祀られるようになった。浅間神社の総本社は静岡県の富士山本宮浅間大社であり、日本各地にある 浅間神社 も富士山信仰と関係が深い。
2. 最初の富士山登頂者

富士山に最初に登った人物は、修験道(山岳信仰を中心とする修行者)の開祖 「役小角(えんのおづぬ)」 だとされる。役小角は飛鳥時代(7世紀頃)の人物で、霊山での修行を重視し、富士山を修行の場としたと伝えられる。
確実な記録としては、仁明天皇の時代(9世紀)に修験者の 「末代(まつだい)」 という僧侶が登頂したとされる。これが、富士山登山の最古の記録とされている。
3.富士講(ふじこう):庶民による信仰登山

江戸時代になると、富士山への登拝(信仰登山)が庶民の間にも広まった。その中心となったのが 「富士講(ふじこう)」 と呼ばれる信仰団体である。
富士講は、富士山を信仰する庶民の集まりで、創始者は 「長谷川角行(はせがわ かくぎょう)」 という修行者である。彼は16世紀後半に富士山で厳しい修行を行い、その教えが広まったことで、多くの人々が富士山への登拝を行うようになった。

江戸時代の人々にとって、富士登山は 「一生に一度は行くべきもの」 という特別な意味を持っていた。しかし、当時の旅は困難だったため、富士講の信者たちは 「代参(だいさん)」 として代表者を派遣し、代わりに登ってもらうこともあった。
また、庶民が登山できるように、登山道には 「御師(おし)」 と呼ばれる案内人や宿泊施設が整備された。現在の吉田ルートなどは、当時の信仰登山の道として発展したものだ。富士講については新田次郎の『富士に死す』の一読がおすすめ。
富士山と日本文化

富士山は、古くから芸術や文学にも登場し、日本文化に深く根ざしている。
① 浮世絵と富士山

江戸時代には、多くの浮世絵師が富士山を題材に作品を残している。中でも特に有名なのが、葛飾北斎の『富嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)と、歌川広重の『富士三十六景』 である。
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- 最も有名な作品の一つが 《神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)》 で、大きな波の奥に富士山が見える構図が特徴。
- 富士山を背景に、日本各地の風景を描いたシリーズで、ヨーロッパの印象派画家たちにも影響を与えた。
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歌川広重『富士三十六景』
- より写実的な富士山の風景が描かれ、旅情を感じさせる作品が多い。
② 和歌・俳句に詠まれた富士山

富士山は、和歌や俳句にも数多く詠まれてきた。
映画では新田次郎の原作を映画化した、石原裕次郎の傑作『富士山頂』をチェックしてもらいたい。
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