
平成最後の年から令和にかけて、KDDIのブログサービス『g.o.a.t』で登山に関する記事を書いていた。最も思い出深いのが、令和最高の登山マンガ『未亡人登山』のレビューだ。作者・板橋大祐さんが読んでくれ、Twitterで何度も紹介してくれた。
「このレビューを読んで励まされています」とメッセージまでいただいた。当時、駆け出しのライターだった自分にとって、それは大きな自信になった。

『未亡人登山』は月刊スピリッツで連載された全2巻の作品。クライマーにとって「なぜ山に登るのか?」と同じくらい重要な、「誰と登るのか?」という問いをくれる。単独行、パートナー登山、3人以上のパーティー登山。同じ山でも、共に登る相手によって景色も体験もまったく異なる。

主人公は、半年前に夫を亡くした千堂椿。交際0日で10歳年上のクライマーと結婚したが、鹿島槍ヶ岳の北壁で帰らぬ人となる。椿は夫の遺した登山メモを手に、同じ山々を11座巡ることを決意する。

もう一人の主人公が、谷川岳で椿と出会い、彼女をガイドすることになる単独行者・加賀山峻。11座を共にする中で、彼はパートナー登山の魅力に気づいていく。
この漫画は絵も好きだが、まず登山者を「クライマー」と表現してくれることがうれしい。「登山家」「山屋」「岳人」「山人」「アルピニスト」。山を登る者の呼称は多くあるが、《クライマー》が一番好きだ。

《クライマー》には、人生を登っていく覚悟が滲む。「自分はクライマーなのか?」その答えは、作中の台詞「山が呼んでいる」と感じられるかどうかでわかる。
登る山を選ぶのは自分だ。しかし、一線を越えた瞬間、不思議と「山に呼ばれている」ような感覚に陥る。それがクライマーという生き物であり、板橋さん自身もきっとクライマーにどっぷり浸かっているはずだ。

さらに、板橋さんは雪山を愛するクライマーだ。音も人も気配も消え去る。その《無》の世界こそが最高の贅沢だと雪山クライマーは知っている。どんな世界の絶景も、雪山には敵わない。
そして『未亡人登山』の最大のテーマは、夫の想いを背負いながら登る椿の姿だ。クライマーは皆、何か目に見えないものを背負っている。夫が亡くなった鹿島槍ヶ岳の頂を踏んだ椿は、その瞬間、ようやく自分自身の登山を歩む決意をする。

このエンディングこそ、椿が本当のクライマーになった黎明であり、その隣には、これからも峻がいる。
だが、この物語の真の凄さは、単独行者だった峻の変化にある。椿との登山を通して、己の中で山の可能性を広げていく。
山をガイドする峻が、椿以上に登山に覚醒する。そこに『未亡人登山』の面白さがあり、クライマーの真実が描かれている。
山は無限の世界であり、そこにピリオドはない。
『未亡人登山』を読むと、「なぜ自分は山に登るのか?」「山に登ることで、何が変わるのか?」そんな“心にある山”を描かずにいられない。
実際、山の美しさを伝えるなら、写真や動画のほうがリアルで迫力もある。だが、『未亡人登山』は山そのものではなく、そこにクライマーがいる意味をくれる。
だからこそ、読者は作品に登場した山々に導かれ、その足で向かうのだ。